平成20年は1月6日(日)13:30より開始いたします。
 
流山市三輪野山地区の「三輪茂侶神社」は、大和国(奈良)の三輪神社の分霊とされる言い伝えがあります。「延喜式神名帳」という平安時代初期の書物にもその名が見られ、所謂「式内社」のひとつとされています。
 お正月の行事として伝わる「ヂンガラ(神賀楽)餅神事」が毎年1月第2日曜日午後1時30分より行われます。
 8升の鏡餅(上3升・下5升)、8種類の野菜の煮物、8升のお神酒が神殿に供えられます。
 まず、社殿内で祝詞、トウ流し(次の年番への引き継ぎ)などが行われます。その後、約20名の若衆が上半身裸のサラシ姿で登殿。宮司の掛け声で投げいれられた5升の鏡餅を割れるまで激しく揉み合い、奪い合います。柱に打ち付けるなど凄まじい熱気で、時には怪我人も出ます。その割れ方によってその年の作柄を占い、また五穀豊穣を祈願します。
 境内には300人を越す見物人が集まり大賑わいです。
 昭和52年12月22日に流山市無形文化財に指定されています。

(参考)三輪茂侶神社由緒
 延喜式(「養老律令」の施行細則を集大成した古代法典。西暦905年・延喜5年に編纂が始まる)の神名帳に記載がみえる。御祭神は、大和国大神神社の御祭神・大物主命(オオモノヌシノミコト)の御分祀と伝承される。近年、神社鳥居から南西約1q地点に大規模な祭祀後が見つかり、須恵の祭器具が出土、茂侶神社の拝所の可能性もあるとされる。参道中央に建つ両部鳥居の社号額の裏には「宝暦戌歳(1754)四月一日、中村□□衛門・木崎伊衛門、西国秩父参り成就修所」また「天保十一年庚子歳(1840)八月同邑氏子再修復」さらに「明治十二(1879)年四月再修復」の墨書が見られる。
 また、大和朝廷からの使者が当地に赴いた時、当地の趣が大和の三輪山を彷彿とさせたため、丘陵地を「三輪の山」と命名したという言い伝えもある。